第一子の経験。594gでの出産から現在まで

第一子の経験。594gでの出産から現在まで

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水頭症,中絶,早産,ハイリスク妊娠

私は第一子を妊娠24週という、通常の出産より4ヶ月も早く子供を出産しました。
昔に比べ、早産になる方は増えているそうで「早く生まれてしまった。これからどうなるの?」と心配になるお母さんも多いのではないでしょうか。

 

私の経験を通して、少しでも早く生まれてしまった子の経過を知っていただけたらと思います。

 

生存率は50%

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第一子が産まれたときの体重は「594g」通常の4分の1の大きさです。
病室に戻り言われたことは「この子が一週間、生きられる確立は50%です。」と言われました。
ショックというより絶望。
私には何もしてあげられなくて、ただただ泣くことしかできなかった。

 

でも先生はこう続けました「一週間を乗り切れば、危機的状況は脱することはできます。」と。

 

帝王切開だったので1日は動くことが許されなかったので、子供が生まれて2日目に初めて会うことができました。
初めて見るわが子は両手に収まってしまうのでないかというほど小さな姿でした。
その小さな身体にたくさんの管に繋がれており、肌も透明、心臓などの臓器が透けて見えていて、なんとも痛ましい姿でした。

 

でも、ちゃんと生きていました。
肌から透けて見えている心臓が規則正しく、動いているのがよく分かり「この子は死なない」と確信しました。

 

この子のために母として

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私が母として子供にしてあげられることは、母乳を届けること。
24週での出産だったので、まだ母乳も出ていませんでした。

 

出産から2日後、起き上がることができるようになった頃から母乳を出すために2,3時間おきに看護師さんが母乳マッサージをしてくれるのですが、それが痛い。
夜中にもかかわらず、行われるので通常の出産の授乳と変わらないですね。
その結果出産から3日後には母乳が出るようになりました。

 

それからは、退院した後も、毎日2,3時間おきに搾乳をして、母乳フリーザパックという、母乳を保存できる袋に入れて子供の元へ届けていました。
私にできることは、栄養が詰まった母乳を少しでも多く届けることしかできませんでした。

 

小さな体で戦う我が子

生きられるか分からない危険な一週間を無事に生きぬくことができました。
生存率は飛躍的に上がりましたが、まだまだ予断を許さない状態でした。

 

黄疸がとても強く出ていて、顔にマスクをされ、光を当てて黄疸を抑える治療を2週間ほどしていました。
また、早く生まれたので、肺が完成しておらず自発呼吸ができなかったウチの子は、呼吸器で酸素を送っていても低酸素状態で苦しい思いをすることがありました。

 

それに加え、未熟児網膜症という、目が完成していない状態であったので、将来的に目が見えない可能性もありました。
その治療法として目に直接注射をしたり、それで改善しない場合は目にレーザを当てるというものでした。「
目に注射なんてかわいそう」だと思いました。
ですが一生目が見えなくなるよりは良いですよね。
ウチの子は直接目に注射をするだけで未熟児網膜症は改善されました。

 

段々と大きくなっていく

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面会に行くたびに管が少しずつ減っていき、二ヶ月ほど経った頃でしょうか、口についていた呼吸器が鼻に移動しました。
たったそれだけのことですが、ちゃんと成長しているのだと実感しました。

 

また、1000グラムを超えると、自発呼吸も少しずつできるようになってきて、タイミングが合えば面会のときに呼吸器が外れていることがありました。
初めて管が繋がっていないわが子の顔を見たときは、あまりにも主人にそっくりで涙が止まりませんでした。

 

生まれて3ヶ月経った頃にやっと保育器から出て抱っこをすることができました。
生まれた頃は両手に収まるほどの大きさだったのに、両腕でしっかりと抱かないといけませんでした。
初めて抱くわが子は暖かく、しっかりとした重みを感じました。
「ここまで大きくなってくれてありがとう」と感謝の気持ちしかありませんでした。

 

保育器から出ると、退院はもう目前でした。
毎日病院へ通い、退院に向けて呼吸器は外れたもののミルクを飲んでいると低酸素状態になってしまうので、顔色を見て低酸素状態じゃないことを確認しつつミルクを飲ませる練習や、沐浴の練習などを行いました。

 

生まれてから4ヶ月経ち、本来の出産予定日を2週間ほど過ぎてやっと退院することができました。

 

ですが退院の検査の際、小脳が通常よりも小さいことが判明。
「歩くことや話したりすることができないかもしれない」と言われました。
「たとえ歩けなくても、話すことができなくても、二人で愛情をたくさん注いで育てていこう。」と主人と決意しました。

 

退院後の生活

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退院してからは、大きな病気にかかることもなく、修正月齢でいくと周りの子達に遅れることもなく首が据わり、寝返りがうてるようになりと順調に成長していきました。
歩けないかもしれないと言われていたので、毎日足の上でスクワットのようなことをさせたり、体をたくさん使って遊びました。
その甲斐あってか、1歳を少し過ぎた頃に歩けるようになりました。

 

また、話すことが困難とも言われていたので、退院した日から毎日、常に笑顔を心がけて子供に話しかけていました。
主人にとっては返事もしない子供と話す私の姿は少し可笑しかったようでいつも笑われていました。

 

現在この子は3歳になりました。
未熟児とは思えないほど毎日元気に走り回って、起きてから寝るまで、ずっとおしゃべりしています。
今も半年に一度の通院が欠かせませんが、これからも健康第一で大きくなって欲しいです。

 

まとめ

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594gという小さな体で生まれた子。
生きるか死ぬかという危機を何度も乗り越えて、今も生きています。
小さな体でたくさん頑張ってくれました。

 

私にしてあげられることは少ないですが、私は生きていることに感謝して1日1回必ず息子を抱きしめます。

 

未熟児で生まれてくる子は年々増加しています。
子供の生命力は私たちが思っているよりも強いです。

 

心配事もたくさんあるかと思いますが、決して諦めないでください。

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